なんでもかんでもはむり

書きたいものだけ書く。音楽、映画、本がメイン。

<Pitchfork Sunday Review和訳>Talk Talk: Spirit of Eden

pitchfork.com

ポスト・ロックの基礎を築いた素晴らしきパイオニアサウンド

『Spirit of Eden』に収録されたすべての音の音色、振幅、振動数、音の長さが大衆音楽についての偉大で悲しみに満ちた物語を紡ぐ。新たなジャンルを産み落とした、芸術と商業の戦争についての物語だ。その視界の広さは恐るべき程の広さだ―音を鳴らさないことは音を鳴らすのと等しく、静は動と等しく、どちらも重要だ。真っ黒なコード進行は謎へと変容し、歌詞が残していくのは残像だけだ。最初の2分間の空虚さのおかげで、君は完全な暗闇の中でレコーディングされたこのアルバムの薄明かりに目を慣らすことができるだろう。そしてその後、この作品は光を放ち始める。

これらの6曲に隠された思考や工夫が明らかにされたことはないし、やりすぎやその逆ということもない。ある瞬間(例えばミュートされたトランペット)はその他の瞬間(ブルースハーモニカのフィードバック)と並んで常にあるべき場所に完璧に配置され、作曲と歌唱を担当するMark Hollisと共作者 / プロデューサーであるTim Friese-Greeneのヴィジョンやスピリチュアルな”お布施”として何時間ものテープが丹念に編み込まれている。深遠なる音の白書であり、鬱屈した湿度をもっている。ロックミュージックがこれほどまでにシンプルな苦しみや耐え難い感情で出来上がることはめったにない。この『Spirit of Eden』は音楽の原初、つまり音のありのままの美しさであると言いうほかにない。

Talk Talkのレコードレーベルが同じように感じてくれていたらどれほど良かっただろう。Talk Talkが1988年の春に『Spirit of Eden』を持ち込んだ際、この作品がポップミュージックの金字塔となり、ジャズとミニマリズムが結びつくきっかけとなり、さらにはそこからポスト・ロックが生まれると、あの巨大なEMI社が知っていたら?伝説によると、EMIのA&Rはこの作品を最初に聞いて涙を流したという。この作品の溢れんばかりの美しさにではなく、単に売れないと思ったからだ。かなりの成功を収めていた英国のバンドがその音楽性を完全に裏返し、この囁きのような作品を持ってきたのだ。以前のシンセ・ポップサウンドは遠く向こうにかすかに聞こえるだけ。その瞬間にTalk Talkの6年間に渡る”商業的に生き残っていくバンド”としてのキャリアは水に浮かぶ土左衛門となったのだ。

妙な話だ。というのも、HollisとFriese-Greeneは『Spirit of Eden』は軽く400万枚は売れると確信していたからだ。気が狂いそうになりながらも11ヶ月のレコーディングを終えた時点で、彼らはこの作品ではやりたいことがすべて実現できたし、3枚目の『The Colour of Spring』(1986)―秋のように繊細で、難しい印象派のようなシンセ・ポップ・アルバムだった―のようにプラチナムになると思い込んでいた。「Living in Another World」「Life's What You Make It」という2枚のシングルがチャートインするなど、『Colour〜』はTalk Talkの躍進の足がかりとなり、200万枚を売った。最初の2枚(1982年の『The Party's Over』、1984年の『It's My Life』)は電子ドラムやギターの音が重々しく、彼らをレーベルに貼られた”ニュー・ロマンテック”のレッテルを剥がせずにいたが、この3枚目では彼らはアンビエントな触感を用いた実験的な作品を世に送り出した。

名声、プロモーション活動、愛想よくすること:シンセ・ポップ期のあいだも音楽業界の罠はHollisを絆すことができなかった。彼は声も体もやせ細った大学中退者であり、元パンクスであり、芸術の顆粒状の形而上的側面にとりつかれた男であった。彼はインタビューでMiles DavisとGill Evansによるジャズの傑作『Sketches of Spain』、John Cageの禅の試み、ヴィットリオ・デ・シーカの前衛映画『自転車泥棒』をインスピレーションとして挙げた。彼はコックニー訛りの仏教徒のように話し、文は教祖用のアルゴリズムで生成されたようなものだった(「2つの音を下手に演奏するよりも1つの音を上手に演奏するほうがよいという信念をもっている」)。痛烈ながら物腰の柔らかい喋り口。Spandau Balletのメンバーと喧嘩になったこともあった。Hollisが自分も含めその場の全員を「人間のくず」呼ばわりしたからだ。

『Colour〜』を引っさげての過酷なツアーによってHollisはその烙印を押された。1986年9月13日、当時31才の彼はスペインでの公演を終えた彼は二度とライブで演奏しないと宣言した。『The Colour of Spiring』の複雑な曲をステージ上で機能させること、週6回の公演、世俗から孤立していくありきたりなツアーの日々に彼は耐えられなかった。加えて、彼(と他のメンバーたち)は父親になった。もういい大人になったことを告げる静かな鐘が鳴り響いていた。彼はサフォーク州の田舎へと逃亡し、家族と牧歌的風景、大きな厩舎に囲まれる生活をはじめた。

極限の疲労、田園生活の美しさ、そして休むことのない創造性。これらのエネルギーを携えて1987年5月、Talk Talkは『Spirit of Eden』の制作のため再びスタジオに入った。初期のヒット曲があったおかげで、EMIはTalk Talkに対して4度目の奇跡を期待し、制作に際してバンドに全権を委任した。バンドが向ったのはウェセックス・スタジオだった。コントロールルームの卓上灯以外は真っ暗な蛹のような空間で、音と連動したストロボライトがLee Harrisのドラムセットを取り囲み、1960年代のオイルランププロジェクターがバンドの作業部屋の天井を照らしていた。週5日、昼11時から真夜中が作業時間。部屋には香り高い手巻きのタバコの煙が充満した。すぐに全員が時間の感覚を失っていった。

グループは3ヶ月もの間、そのサイケデリックなヤサでレコーディングを行った。Hollis、Friese-Greene、Harris、そしてベーシストのPaul Webbは『Spirit of Eden』のチルな枠組みを作り上げた―小さな呼吸からけたたましい遠吠えのような音まで一瞬で到達するような、リズムの膨大な数のレイヤーを用いて。「Desire」は大海のように穏やかで多幸感にあふれている。ゆっくりとリラックスするようなムードが17分間続く―そしていきなりカウベルが鳴り響き、Hollisはまるでそれまでに作り上げたムードをぶち壊すようなブルージーなコーラスを歌い始める。「こんなの俺らしくないだろ、ベイビー」。

アルバムの骨格が出来上がると、バンドはアルバムに付け加えるサウンドやアイデアを求めて多くのミュージシャンを招き、オーディションを行った。ハーモニカ奏者やバイオリニストを長いときでは3時間半も演奏させ録音するのだが、使われるのはせいぜいそのうち1、2秒といったところだ。決まった予算や時間の制約もなく、小さな音の断片を切り貼りして曲の中に配置していくというこれらの曲を織っていく作業は、純粋な発見と実験のような行為だった。こんな調子が数ヶ月続いた:次はオーボエ奏者、次はトランペット、といったように。巨匠・Karlheinz StockhausenのアシスタントであったHugh Daviesに至っては、shozygsというテルミンに似た自作楽器を持ち込んだ。エンジニアだったPhil Brownはこう語る。「アルバムは7人が一つの部屋で生演奏をしているように聞こえるが、個々の音はそこに”配置”されているんだ。このアルバムはイリュージョンなのさ」

HollisとFriese-Greeneは「I Believe in You」のために25人もの合唱隊を招いた。冷たいタッチのエレキギターの音が印象的な一曲だが、Hollisはこの曲を自身の兄であり、元パンクロッカーのEd Hollisについて、そして自分の薬物中毒の苦しみについて書いた。「ヘロインならたくさん見てきた」Hollisは言葉を抱きしめるようにコーラスを歌う。これ以上低い声で歌ったら溺れてしまうのではないかと思うようなテナーボイスで歌う彼の声は無気力で完備であり、Talk Talk及び『Spirit of Eden』のサウンドを決定づけている。「I Believe in You」において彼が「spirit」という言葉をかすかなボリュームで口にした時、彼はこの曲の共振周波数を決定づけている。結局この曲に25人の合唱隊の歌は使用されなかった。誰が聞いてもこのコーラスは素晴らしく、スタジオで働いていたお茶くみの女性すら涙を流したほどだった。翌朝、プレイバックを聴いたHollisはエンジニアにこのコーラスを完全に消すように言った。後にふくよかなソプラノ男性6人のChelmsford大聖堂の聖歌隊の歌に差し替えられた。

このアルバムの全体図を描くこと、個々の音の由来を探すことは狂気の沙汰であろう。あなたは思うだろう:スコアがあって、指揮者が見るような分厚いカンペがあって、オリガン奏者に入りを指示しているのだと。しかしこのモザイク壁画のような作品はTalk Talkが持つダイナミクスがなければただの窓ガラスであり、これはSpiritualizedRadiohead、Explosions in the Skyなどのバンドが後に効果的に使うようになるものの基礎なのだ。「Eden」は縮んだり伸びたりしながらマクロとミクロを行き来する。フロアタムとフェルトを用い曲を盛り上げ、内側の巨大な空間を削り取る。その中でHollisが聖書のように訴える。「全能であることへの怒り」。彼の声はか細いが、その言葉自体は山の側面に刻み込んでもいいくらいだ。

丹念に作曲された曲であるにもかかわらず、これらの曲は互いの衝動に呼応するジャズ・コンボバンドのようなスウィング感、フィールが存在する。これが『Spirit of Eden』が様式をハイブリッドしたパイオニアだと言われる所以である。ここまで細部に気を配っていながらもこれほどに自由でカタルシスがあるのはなぜだろう?なぜこれほどまでの苦労・工夫をこらしたものが心と魂が放浪するゆったりした空間を創出できるのだろう?これは商業から開放された音楽であり、彼らの究極の結論に対するクリエイティブなアイデアが見たものである。この音楽を聞くことに寄って得られる興奮は、ジャズやクラシック、ポップの傑作を聴くのと同じ興奮である:Miles Davis『In a Silent Way』の魂、Morton Feldmanの描く愚鈍な風景、Brian Enoの創作と忍耐。これらが詰まった精神とサウンドは、今日においても尖っていて謎めいたポピュラー音楽であるように感ぜられるのだ。

そう思っていたのはスタジオを出たHollisとFriese-Greeneも一緒であった。なにか新しいことをやった、やっと長い間やりたかった音楽にたどり着くことがっできたという興奮。もちろん、400万枚売れるだろう。プレイバックルームでレーベルは頭を抱えた。売れるシングルをレコーディングしにスタジオに戻るなんてことはしないだろうし、絶対にこのアルバムでツアーなんかしない、こんなバンドをどうしたら良いのかわからなかったのだ。Friese-Greeneは回想する。「Markの家の近所の近くのパブで、シングルが王様じゃない世界に戻って、型を破壊し、歴史の流れを変えられるなんて考えていたよな、なんて話し合ったのを覚えている。なんて悲しい間違いを犯したものか」。

有効なマーケティングのプランがないまま、『Spirit of Eden』はぬるっとリリースされた。以前のサウンドが好きだったファンは蜘蛛の子を散らすようにいなくなった。共通していたのはWebbのアンビエントでダブな、骨太なベースラインだけだった。歌えないし、踊れない。当時のチャートにあったものとは全く別物だった。評判もよくなければ本人たちが公認したかどうかも怪しい「I Beliebe in You」の3分のリ・カットバージョンがシングルに使われたが、チャートには箸にも棒にもかからなかった。結局売り上げたのは50万枚ほどであり、メジャーレーベルのプラチナセラーバンドとしては惨憺たる結果に終わった。

バンドとEMIの軋轢は訴訟にまで発展し両者は袂を分かったが、Talk TalkはPolydorとの契約を保持し、それは最後のアルバムとなる『Laughing Stock』という形となった。そのアルバムは『Spirit of Eden』のポスト・ロック的美学を保ちつつ、よりアコースティックで開かれた雰囲気を持った作品となり、より明快に装飾された素晴らしいものであった。それはまた再び、商業的に成功しない大傑作を完成させるための厳しく長いスタジオでの作業であった。音楽業界や他のメンバーに愛想を尽かした彼らは、その後解散した。

「音が好き。そして静寂も好き。ある意味では、音よりも静寂のほうが好きなんだ」これまたHollisの名言であるが、これほど彼に似合う感情もないだろう。トランペットのミュートがゆっくりと外されるように、Talk Talkの最後の作品達は徐々に当時のポップ・ミュージックからずれていった。その牧草地にはまだまだ耕されていない土地があって、それはギター、ドラム、ベースだけで耕せる土地だった。『Spirit of Eden』はロックやポップが長い間排除してきていた宗教的感情が入り込む余地を与えた。アルバムを聴けば興奮で最初から最後まで息が止まってしまうだろう。バンドがバラバラになってしまう前の最後の力を振り絞るなか、Hollisは幕引きの賛美歌の中で歌う。「Take my freedom」と。

筆者:Jeremy D. Larson

点数:10/10