炎上商法はエンタメではない―シバターの発言から考えてみた

YouTuberのシバターとラッパーの漢a.k.a.GAMIがここ1か月ほどで繰り広げた「ビーフ」が話題になっていましたね。詳しい経緯は各々の動画に詳しいので割愛します。

このビーフ、最終的にはシバターが動画内で完全に自らの非を認めて無事解決を見たのですが、シバターがパチスロ営業中にヒップ・ホップのヘッズに絡まれるという穏やかではない事件も起きるなど、双方のファンにとってなんだか後味が悪いものでした。ZeebraやD.O.などもWREPの番組内で言及するなど、なかなかの大ごとになっていました。

個人的には漢さんにはかっこいいラップだけをしていてほしいので、最近の漢さんぽとかYouTube活動での「お茶目なおじさん」っぷりには思うところもあるのですが、彼なりに考えての行動なのでしょう、ここでそれ自体を非難することは控えておきます。

シバターの動画も嫌いじゃないです。ほかにはいないキャラだし、YouTubeという枠の中で見たら人気もすごいし、実力もある。有象無象のYouTubeの中でも抜きんでてる存在だと言って差支えはないでしょう。

でも、今回の騒動を通じて考えることがあった。彼の、人をおちょくり、不快な気持ちにさせることは果たして本当にエンターテインメントなのだろうか、と。

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これは今回の騒動の締めくくりにアップされた、件のシバターの謝罪動画である。注意してみてほしいのは6:30~からの部分である。要約すると、彼が言っていることはこういうことだ。

誰かに対して、むかつく・腹が立つといった負の感情を持つこともエンタメである。日々生きていくうえで感情が上下することこそがエンタメであって、僕の動画を見て腹が立つことすら楽しんでほしい。その方が人生は豊かになるとぼくは思う。 

ぼくはこれを聴いた時に強烈な違和感を覚えた。最初はその違和感の正体がわからず、「まあ、でも、そうか・・・」と一瞬あきらめかけたのだけれど、今になってようやくこの正体を突き止めることができたので、この記事を書くことにした次第だ。

ぼくが違和感を覚えたきっかけは、彼がこの説明の中で「ホラー映画」を引き合いに出していた点だ。ホラー映画を見てうわ怖い!グロい!と思うのと同じで、ぼくの動画もエンタメなのだ、と彼は言っていた。

この論が一見正しく聞こえてしまうのは、確かにホラー映画を見てぼくたち(一部の特殊な趣味を持つ人たちは除く)は「恐怖」という負の感情を手に入れ、そしてそれを「娯楽」として楽しむ。宇多丸氏がラジオか何かで言っていたエピソードとして、映画『セブン』を見た人が「宇多丸さん、あんな映画許しちゃいけませんよ!」と怒っていた、というものがある。宇多丸氏は「彼にここまでの感情を持たせることができた時点でこの映画はエンタメとして成功している」というような趣旨の発言をしていたのだが(うろ覚えで申し訳ない)、これは一見シバターのエンタメ観に沿ったものであるように見える。

しかし、ここには一つ重大なトラップが隠されいている。それは「現実」と「フィクション」の違いである。当たり前すぎて見落としがちだが、シバターのエンタメ観はこの差を完全に取っ払ったものになっている。この二つの差は、無視するには大きすぎるとぼくは思うのだ。

つまりはこういうことだ。ホラー映画であれ、あるいはお化け屋敷であれ、ゴア描写のえぐい小説であれ、それを「娯楽」として楽しむことができるのは、観客(=われわれ)に戻ってくることができる「現実」が担保されているからである。映画も本も終わりがあるし、お化け屋敷であれば出口がある。映画を見終わった時に、お化け屋敷を出た時に、我々は現実に引き戻される。その時に初めて「ああ、怖かったな(腹が立ったな)」と自分の体験を振り返ることで、その娯楽は完成する。

果たしてシバターの今回の動画はどうだろうか。「ヒップ・ホップ」「漢」という現実の世界のものをおちょくり、それらを愛する人たちの心に「負の感情」を植え付けた。だがその先に観客が戻るべき現実は用意されていない。謝罪動画がそうであろうか?いやいや、いくら謝罪したところで彼がヒップホップや漢のことを悪く言った事実は消えないし、我々の負の感情も消え去らない。「あ、胸糞悪かった」と振り返ることができないのである。これはエンタメではない。

フィクションの中では、恐怖を感じるのはあくまで画面の中の人間であり、我々はそれに感情移入をして怖がっているに過ぎない。だがシバターが今回のビーフの中で行ったことは漢への、そしてヒップ・ホップを愛する人たちへの直接的な攻撃である。自分が愛するものを攻撃しておいて、「これはあなたの感情を揺さぶるものだ、だからエンタメなのだ」と言われてしまっては、(極論だと承知の上で言うが)戦争も殺人も暴力もエンタメになってはしまわないか。シバター、あんたのエンタメ論は完全に破たんしているぞ。シバターだけではなく、いわゆる「炎上商法」を行っている人たち全員に言えることだが。

これがシバターがホントにヒップホップを「ヨーヨー言ってるだけのダジャレ」だと思っていたのなら、まだそれは「批評」「批判」または「意見」「感想」という体を保つことができるのだが(それでも稚拙なものであることに変わりはないが)、実はシバター自身RHYMESTERをよく聞くなど、決してヒップ・ホップに理解がないわけではない。つまり彼は思ってもないことを言うことで、純粋に「人を不快な気分にさせること」を目的としたエンタメを試みたのだということがわかる。つまりは破たんしたエンタメを、だ。

これを「エンタメ」と呼ぶことが許されるのであれば、こういった「エンタメ」が増えていくのであれば、間違いなくこの世は生きづらいものになる。嫌悪や憤怒がまかり通る、ストレスフルな世の中になってはしまわないだろうか。実際にシバターはヒップ・ホップファンを名乗る人物に絡まれるという事件を経験しているのだからそれを実感したはずだ。彼が今回エンタメだと思って起こした一連の行動は、一切エンタメなどではない。娯楽というのはそういうものではない。もう一度、深く考え直してほしい。

みんなにとって世の中が楽しいものになることを祈って。