スポーツとは喧嘩なのか、喧嘩とはスポーツなのか

先日(6月27日)放送された「フリースタイルダンジョン」内のバトルが話題になっている。

挑戦者は言わずと知れた「フリースタイルバカ」晋平太。サイプレス上野、漢 a.k.a. GAMIを倒した彼の前に立ちはだかったモンスターは川崎が生んだ「狂気のラップエンペラー」T-PABLOW。

第1ラウンドこそきちんとしたMCバトルとして成立していたものの、第2ラウンドに入るとその均衡は崩れていく。T-PABLOWはバトル中に2度晋平太の胸倉をつかみ、バトル終了後も晋平太に詰め寄って何やら怒鳴っていた。彼のラップは徐々に恫喝の言葉となり、「さらっちまうぞこのクソガキ」などと感情をむき出しにした。放送ではカットされていたが、彼はその場にマイクをたたきつけ、審査員のコメントも聴かずステージから去っていったらしい。

T-PABLOWはバトル中に「お前(晋平太)から触ってきたんだからな?」「死ねよ、触んじゃねえ」と発言していたことから、どうやらきっかけは晋平太の体がT-PABLOWにあたったこと(放送を繰り返し見たが晋平太が故意に触っているようには見えない)らしいが、ネット上の意見はその後胸倉をつかんだT-PABLOWを非難するものが多い。

番組内でボディータッチが問題になったのは初めてではない。GADORO対R-指定ではガンガンの至近距離に詰め寄るR-指定をGADOROが突き飛ばし、バトル後オーガナイザーであるZeebraは「ボディタッチは原則禁止です」とのお達しを出した。その他のMCバトルの大会でもボディータッチは禁止であることが多く、逆にボディタッチがOKである「罵倒MCバトル」はそこを売りにして語られることが多い。

このような「ボディータッチ禁止」というルールの根底には、「MCバトルはラップのスキルを競うものであり、暴力で競うものではない」という精神があると思う。暴力ではなくラップのカッコよさで相手を圧倒しましょうね、ということだ。これを「MCバトルのスポーツ性」と名づけることにしよう。

そうすると逆に、「MCバトルの喧嘩性」というものも確かに存在する。各MCのカッコよさというのは必ずしもラップのスキルだけでは語ることができないものであり、「アティテュード」という判断基準も確かに存在する。ライムやフロウだけではなく、いわゆる「内容」で勝負するMCも数多く存在するし、そういうMC同士の対決ではスキルではなく「言っている内容」でジャッジが下されるのだ。それはまさに議論の対決であり、言い換えれば口「喧嘩」と言ってしまってもいいようなことだ。

FORKが同番組内で言っていた「あの時代なら数週間以内に刺されるぞ」というラインやDOTAMAの「裏に連れていかれたこともある」という旨の発言、そして漢の著書「ヒップホップ・ドリーム」の中にあるMSCの「リアルルール」にまつわる事件の顛末を見るに、その「喧嘩性」が実際の暴力沙汰に発展することは稀ではなかった(とりわけMCバトルの創世記においては)のが伺える。

近年のMCバトルは「スポーツ化している」というのはよく見られる見解である。若手のMCはどれをとってもスキルフルで、即興で言われたことに対して高度なライミングとフロウでアンサーすることができる。その極地が第11回高校生ラップ選手権であったと思う。第10回のオールスター戦でMCニガリとT-PABLOWが見せてくれた素晴らしい「口喧嘩」の試合を小藪千豊が「チャンピオン同士の戦いとは思えない!」と厳しく糾弾したのも、スポーツ化したMCバトルを象徴する出来事だったように思う。

もちろんこういった潮流に対して全くカウンター勢力がいないわけではなく(ヒップ・ホップはカウンターカルチャーなのだ)、そういったMC達やファン達によってMCバトルは現在もかろうじて「喧嘩性」を保ったままの形で「文化」として存続している。

でも決してMCバトルだけではなくて、他のあらゆる競技にも「喧嘩性」というものは残っているのではないか。先日の浦和レッズ済州ユナイテッドの試合でも試合後の乱闘が話題になったし、錦織圭がテニスラケットを折ったことも話題になった。F1の直近のアゼルバイジャンGPのレースでもセバスチャン・ベッテルルイス・ハミルトンに故意に車をぶつけたことが大きな話題になっている。要はスポーツというのは競争であり、どうやってもそれは最終的に喧嘩につながってしまう。乱闘騒ぎが一度も起こったことがないスポーツなんてないと思う。

でもそれが許されることなのか、という問題がある。スポーツではそういった「喧嘩」に対してイエローカードやレッドカード、警告などでペナルティが課される。でもMCバトルにはそれがない。しいて言えばGADOROもT-PABLOWも負けてしまったことだろうか(ただ今回は先に手を出したとされる晋平太が買ったことになる)。

要するに、喧嘩とは「勃発」するものであって、それは避けられないと思う。ただ、観客は喧嘩を見に来ているわけではないし、出場者も喧嘩を鼻からしようと思ってきているわけではない(そういう人は来てはいけないと思う)。だからこそその予想に反してそれが起こった時にはドラマが生まれるし、どうしてもそれに興奮してしまうのではないだろうか。ハプニング、アクシデントとは起こってしまうからこそ面白いのであって、そこに人間味があふれ出る。

結論に至るまで長くを費やしてしまったが、ぼくは喧嘩を肯定しているわけではない。ただ、あらゆる競争の一側面としてそれが起こることを許してもいいんじゃないか、ということ。そしてそれはあくまでハプニングであり、それなりの代償が伴うということ。そして何より僕は、喧嘩になってしまうほど真剣に、真摯に取り組んでいるプレイヤーにリスペクトを送りたい。誰もが自分が正しい、自分が強いと信じて競争の場に踏み込んでいるのだ。